【寄稿】発達障害を自覚したら
「コラムを寄稿してみない?」って、ニコニコ顔でセーラー服を着た女の子が口を開いた。
また突拍子も無い事を言い出したなぁと思いつつ、私は読んでいた本から視線を彼女に移した。
『何を書くの?』
「なんでもいいよ!」と笑顔の彼女と困惑する私。
この、何でもいいとは非常に厄介な言葉である。
所謂”空気が読めない”者としては、相手の求めている”何でも”が何なのか皆目見当もつかないからである。
本来なら前後の文脈や相手との関係性、表情や声のトーンといった非言語的コミュニケーションを受け取るのだろうが。
ついさっきまで私は本を読んでいて彼女は忙しなく動いていたし、開口一番がさっきのセリフだ。関係性といえばメイドと主とはいうものの、相手はポコ星人だし、非言語的コミュニケーションなんてお生憎様メッセージを受け取れた試しがない。
ので、困る。
社会人時代は、まだ発達障害当事者だと自覚はしていなかった。ただただ出来の悪い子だと自認していた。時間をかければ出来る事も、ひとたび外界へ放り出されてその他大勢と一緒に時の流れを刻むと、何も出来ないか、ケアレスミスが増えるか、問題を生むか、しかなかった。
なので、新人として部署内で自己紹介する時に
「空気を読めるタイプではないです。」
と言った。先輩方からするとただの癖が強い新人だっただろう。というか、その発言が最も空気が読めていない、私らしいな、と発達障害が発覚してから自分に少し笑った。
ある時、1,000枚を越えるチラシを100部ずつに仕分ける作業があった。その時は、誰よりも作業が早かった。
なのに、別の時は企画書を書くように言われて白紙から枠づくりをするまでものすごく手間取り、頑張る方向性が違うと指導された。
でも、新人期間中に自分用の事務作業マニュアルを作ったら、絶賛されて退社後も活用されるほど重宝された。
つまりは、枠組みが決まっているものに対してはスムーズに取り組めるし、可か不可かが明確なものであればスピードも出せる。
私たちの脳は無の状態から求められているものを想起し、反応する力が弱い。その為に、空気が読めないという事態に陥るのだ。
なので発達障害が発覚してからは、私は枠組みを求めるようになった。アナタは私に何について何を求めているのか、と。
だから、彼女に私はこう言った。
『テーマを決めるとか枠組みが欲しいな。』
「じゃあ、発達障害での困り事!」