【寄稿】最強にPOPでハッピーな僕らの逆襲

2024年1月、花屋乃かやさんと「ぷっぷゆープロジェクト」を結成しました、音楽家の伽藍人(がらんびと)です。

発達障害メイド喫茶スターブロッサムのblogへ、このたび寄稿させていただきます。

ぷっぷゆープロジェクト(略称:ぷっプロ)始動の折、「元メイドで元アイドル」という触れ込みでご紹介いただいたのですが、後になって、「元・生活支援員や現・当事者であることも大事だよな」とふと思い至りました。

なので、今まであまりおおやけに話していなかった、メイド・アイドルをやめた後のことから書きたいと思います。

アイドルの"その後"

音楽事務所を退所することが決まり、「そういえば高卒でそのまま音楽しかやってこなかったし、大学行きたいなぁ」と思った僕は、以前から興味のあった臨床心理学を学ぶため、大学へ入学。

カウンセラー養成のために作られた学部で、人の心やその援助について学んでいました。

そして確か1回生の終わり、「今学んでいることが活かせる、対人支援に関わるバイトがしてみたいな……」と思っていた頃。

ある日、課外活動でお世話になっていた学生課の職員さんが、たまたま学内にポスターを貼りに来ていた、生活介護事業所の施設長さんに僕を紹介してくれました。

そのご縁から、デイサービス施設にて、知的障害や自閉症のある方の生活支援をアルバイトで始めることになりました。

大学の講義で障害について学んでいても、いざ支援の現場へ出ると右も左も分からず、この経験は後になってとても大切なものになります。

障害のある方にどう接すれば良いか、まったく分からなかった原因は、「健常者が面と向かって障害者を知る機会」の少なさであると感じたのです。

差別や偏見は無知からくるものが多くあります。

昨今、障害者に対する専門的な支援が充実してきているのは素晴らしいことではありますが、壁を隔てて専門家に任せきりの社会では、無知による偏見で意図せず誰かへの差別的な言動をとってしまうことも多くなります。

この気付きは今もスタブロへの応援や、「ぷっプロ」でのやりたいことの源流となっています。

さて、そんな経緯で支援者見習いとなった僕でしたが、実は支援を受ける側の存在、障害者でもあります。

中学校から不登校、高校も半年しか通えず中退、音楽専門学校の高等課程でリスカしながらなんとか単位を取得し、不安やうつ症状への投薬治療を断続的に受けていました。

そして事務所時代をはさみ、大学在学中、2回生の終わりだったか……

かねてより悩まされていた毎晩のじんましんが皮膚科の治療ではちっとも治らず、「これはもう心因性なのでは?」と考え心療内科を受診。

心身どちらの症状も診てもらえる診療科ということで、他にも困っている症状を片っ端から問診票に書いて診察を受けました。

そしてお医者さんから告げられた言葉は、「発達障害です」。

え?あれ?大学で習った発達障害の症状ないけど?と訳が分からなくなりました。

後になって受けた詳しい説明では、「ホワイトに限りなく近いグレーゾーンで、しかし発達障害由来の過敏性の問題があるため、体が緊張したり脳が疲れたりし過ぎて、心身に色々な症状が出ている」とのことでした。

処方してもらった抗うつ剤を飲んで沢山寝ていたら、長らく困っていたじんましんはついに収まり、その後は騒音の中で長く過ごした日の夜にだけ出るようになりました。

子どもの頃からのじんましんの原因が、感覚過敏による疲労であったと判明したのです。

ホワイトに限りなく近い、なんて言われましたが、実感として僕はとんでもなく生きづらい人生を送ってきました。

そして自閉スペクトラム症、アスペルガー症候群やADHDについて詳しく調べてみると、あまりにも明快に、これまで謎だらけだった生きづらさの説明がつくのでした。

大学の講義では自閉スペクトラム症について、いわゆる「3つ組の障害」として、①社会性の障害、②コミュニケーションの障害、③常同的・限定的な行動、という3つの障害があると教えられていました。

しかし近年になって、女性の場合ではそういった社会性などの障害よりも、腹痛・睡眠障害・原因不明の発熱といった様々な体調不良が主な問題となりやすいことが分かってきています。

それはまさしく僕の悩んできたことで、毎日毎日いろいろな体調不良に見舞われるので、「こんなにいろんな理由で欠席して、ずる休みや怠けと思われたらどうしよう……」という不安が常に付きまとうような身体でした。

こうして、自分の見ている世界観の因果が何もかもひっくり返り、もうずっと満身創痍だった僕は大学を半年間休学し、心の整理をしなければなりませんでした。

その後、復学して(というか休学中も継続して)心理学の勉強を続け、無事に大学を卒業します。

アルバイトで出会った障害福祉の世界が自分にとってとても心地よいものだったので、卒業後は生活支援員の仕事に就くことにしました。

と言うと順風満帆みたいに聞こえますが、中々そう上手くはゆきませんでした。

就職の"その後"

正社員として就職した社会福祉法人には、様々な内職や製造の作業所、喫茶、グループホームが何軒か……と沢山の部署があり、 沢山の方が利用されていました。

入社後の研修期間は、そういった部署で一週間ずつ働き、どのような仕事をしているか学んでゆくスケジュールが組まれていました。

毎週初めての場所へ行き、初めて会う人が10人、20人といて、わいわいと仕事をし、食堂も人だらけで話しかけられることも多く、今思えば聴覚過敏や視覚過敏、対人緊張のある自分には脳がパンクして然るべき環境でした。

研修終了後はグループホームの部署に配属となり、ようやく静かに働けるかと思いきや、何かとアクシデントが頻発するお仕事で、想定外の出来事に弱い僕は大変なストレスを抱えてしまいました。

「今は支援者側だからちゃんとしなきゃ」という過剰適応の癖もあって、ホームでの夕食時、テレビで怖い話が流れ続けていても我慢してしまうなど、苦手なこと全てを飲み込もうとしていました。

その結果、入社した年の夏には、うつ病の再発で主治医から夜勤禁止の指示が出て、「グループホーム部署にいるのに夜勤ができない役立たず」という悲観的な自己像が完成。

すぐには部署異動ができない決まりになっていたので、ホームに泊まらずに夕食を作ったり、事務所で利用者さんの薬や金銭を管理したりと、上司が頭をひねって調整してくれた仕事をしていました。

けれど思考はどんどんネガティブになってゆき、仕事帰りに泣きながら電車を待ち、別に死にたいわけじゃないのに線路や車道に飛び出すイメージが何度も何度も頭をよぎり、と、うつ症状はひどくなるばかり。

ついには休職することになり、入院。

入院生活もまたハードな環境だったのですが、さすがに長くなるので割愛します。

結局その仕事は退職し、大阪に転居、職業訓練校でグラフィックデザインの勉強をして、障害者手帳を取得。

今は就労継続支援A型事業所の利用者として、webデザインなどの仕事をしています。

福祉関係のwebサイトや動画制作の業務が多い職場で、福祉業界の価値観が好きだった僕には、とてもやりがいのある仕事です。

ただ、うつ病のほうはまだ寛解に至っておらず、再発や悪化を繰り返して、少しずつしか働けない日々ではありますが……。

花屋乃かやさん、スターブロッサムとの出会い

花屋乃かやさんとは、昨年の夏にSinger's Bar星降るばにらで出会いました。

元アイドル仲間の凛ちゃんがBarを開店したと聞いて、ずっと気になっていた僕は、ある夜お店に行ってみたのです。

「男装イベント?異性装で初回チャージ無料?この頃ほぼ男装みたいな格好してるし、お得に飲めるじゃん!」と。

そこでかやさんは「池麺太郎」という癖つよつよな名を名乗り、異彩を放ちながら電波ソングを歌っておられました。

その時その歌声に少なからずビビッとくるものがあったのですが、「花屋乃かやの弟の麺太郎」という設定を貫き通して接客いただいたため、本来どんな人なのかよく分からないまま帰路につきます。

真の意味でかやさんと"出会った"のは後日、X(旧Twitter)でつづられた想いを読んでからでした。

発達障害女性が楽しく働ける場所として、間借り営業でのメイド喫茶を運営し、信念を持って日々奮闘されているかやさん。

毎日の呟きを読んで、

「あぁ、この人は、本気だ。」

「本当にやり遂げてしまう人だ。」

と思いました。

そしてかなりの人見知りな僕ですが、「自分にできることで応援していきたい」とかやさんへDMを送り、写真展「慌てるメイド 見守る客」やスターブロッサムで何度かお話させていただき、今に至ります。

「ぷっぷゆープロジェクト」は、このような経緯で、発達障害メイド喫茶スターブロッサムを応援するために生まれました。

"この後"の夢

スターブロッサムを創った時、かやさんは「世界に復讐したかった」のだそうです。

復讐であんな優しい場所を産み出してしまうとは、なんと素敵な人なのでしょう。

僕も大学時代に人権啓発のための学生団体を立ち上げた経験があり、やりたいことの方向性が、かやさんとはよく似ていると思います。

また、感覚過敏のような障害特性だけでなく、特に情緒面で、かやさんとは通じ合うものを感じています。

胸をえぐってくる途方もない底無しの孤独、とか。

いつまでも子どものように天真爛漫な一方で、なんで分かってくれないんだと絶叫し泣きわめきたくなる気持ち、とか。

野生動物のように鋭敏に危険を察知するヒリヒリした感性、とか。

(って、本当に通じ合ってるか訊かずに書いてますけど、大丈夫ですよね?)

ぷっプロで最初にお披露目する曲は、キュートでポップでキャッチーなものになる予定ですが、ゆくゆくは上記のような心の痛みを表現した楽曲や、痛みを包み込むような楽曲も発表してゆきます。

それは僕たちの辛かった過去への逆襲であり、けれども同時に、この上なく愛に満ちた復讐となります。

そして音楽を通し愛を届けることで僕たちは、これまで感じてきた痛みを乗り越える、しなやかな強さを手に入れることができると信じています。

今まで僕がライフワークとして行ってきた、人権啓発と音楽、その両方をまるごと形にしてゆける、ぷっプロの活動。

有言実行をポリシーとしているので、普段あまり"夢"という言葉を使わず、"やりたいこと"とか"目標"、"目的"と自分では思っているのですが、それでもあえて「夢」と言ってしまいたいくらい、これは僕にとって夢のある話です。

ふたりの魂を込めた歌を創って、スターブロッサムへ渾身のエールを贈りたいと思います。

というわけで、こんな長い文章を最後まで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。

それでは、またどこかで。

伽藍人