発達障害当事者だから起こせる”大成功”を一緒に体験しませんか。【発達障害メイド喫茶スターブロッサム】
2023年12月18日。発達障害メイド喫茶スターブロッサム代表の花屋乃かやは、ご主人様やお嬢様が、肌を刺すような冬の寒さで心まで凍えてしまわないよう温かなメニューについて考えていた。
身体を芯まで温める根菜を使ったクリームシチューはどうだろう。
スプーンを入れたらほろほろ崩れるじゃがいも。
人参や薩摩芋まで入ったファミリーレストランでは味わえない家庭的な味わいになるだろう・・・。
私たちは水曜日に喫茶店を間借り営業して、つかの間の幸せな時間を楽しむメイド喫茶である。
それも、日本でたったひとつの”発達障害当事者の女性”が働くメイド喫茶だ。
発達障害向けの就労移行やエージェントを含めても、接客業の求人はかなり少ない。
私達は”人間と接することが少ない仕事が向いている”といわれている。
けれども、それは健常者の目線から見たときはそうなのであり、人と接することが好きな発達障害当事者も存在するのである。
社会は怖い。
いつだって、特に私のような歪な存在を跳ねのける。
私が生きてきた社会は理由があれば陰口を言っていいのだと信じ
「あいつは変だ」と言ってくる。
確かに私は見えない暗黙の了解や、察することは得意ではない。
けれども社会は人間で構成されていて、私のような発達障害当事者だって
孤独は孤独だと感じるのである。
寂しい時は誰かといたいし、話をしたい。
会話というキャッチボールは苦手かもしれない。
けれどそれは、コミュニケーションを取りたくないわけじゃない。
コミュニケーションの機会を、社会が奪っているように感じる時だってある。
不登校になったら学校に行けないのは”いじめられている人”である。
適応障害になって、生活に困るのは”会社に慣れることができなかった人”である。
ここで大切なのは、決して仕事ができないという事に限られた訳ではない。
目的がはっきりしない雑談が苦手だったり、そんな積み重ねの場合もある。実に勿体ないし、そんな事で生活自体が脅かされてしまうのは恐ろしい。
そして、障害者と呼ばれるのはいつだって健常者からみた視点である。
”発達障害メイド喫茶スターブロッサム”は発達障害当事者自身が、チャレンジをして夢を叶えていける場なのである。
その夢がどれだけ小さくても、実績は何よりも宝物だ。
今日はご主人様と笑って話ができた。
お嬢様にかわいいと言っていただいた。
そんな日々の”嬉しい事”
小さな幸せを、誰かと共有できたなら、私達は世界でいちばんの幸せ者なのである。
そう。目の前のあなたと、この先も共有していきたい。
社会が出来ないと定めた事を、もう本当に悔しくなるくらい成功に収めちゃいたいのだ。
それを叶えていくのは、強靭な肉体と精神を持つ戦士でも誰でもない。
教室の隅で小さくなって震えていたような
そんな私から始めていきたいんだ。
私達人間は本当に弱い生き物だから、弱い者を虐める。
発達障害当事者同士であれ、それが行われてしまう事があって
とても悲しい事だと思う。
誰かを蔑み、やっかみ、虐げても、コンプレックスや劣等感は癒されることなく、また繰り返されるだけなのである。
「お前が変だ」なんて言わせておけばいい。
私達は絶対に夢を叶えていく。
小さくて弱い者がどうやって生き延びるのかを知っているし、
本当に一致団結する時が来ていると感じている。
人を虐げている場合ではない。
明日には足元をすくわれる。
そう、健常者だって、朝起きたら障害者になる可能性はゼロじゃない。
発達障害メイド喫茶スターブロッサムのメイド達は、
素晴らしい心の持ち主である。
それは、完成されているという意味じゃなく、自分の人生を生きる覚悟を持った女性達ということ。
自分の発言や行動をしっかりと意識して、間違えたとしても
誰かを蹴落としたり、醜く嗤ったり絶対にしない。
私は、やっと素晴らしい人達の中で働くことができている。
失敗することを恐れなくていい。
正直この世に生まれてきた瞬間から私達は一人じゃ生きていけなかったんだから。
発達障害があったって、人の痛みを自分の痛みのように思うことができる。
哀しい時は哀しい。
嬉しい時は嬉しい。
「独りじゃない」そう感じられる場所であってほしい。
人生は孤独だ。間違いない。
結局決めるのは自分自身だけど、私達は帆走できる。
今日も扉の向こうで、あなたの頑張りを「よく頑張ったね」と称えることのできる場所を用意しておきたい。
生きていることは、私達にとって当たり前じゃない。
君にとっても当たり前じゃない。
一緒に過ごせるという小さな奇跡を今日も起こしていきたい。
10年先も
20年先も
私が存在しなくても
受け継いでいける姿でありたい。想いでありたい。
発達障害というものが特別じゃなくなる、素晴らしい未来を夢見ながら
生きづらいと感じる人が少しでも癒されますよう。
「おかえりなさいませ、ご主人様、お嬢様。」
私達は、あなたのお帰りをお待ちしています。